2005年7月1日金曜日

権利

最近、低年令による自己中心的な事件が多くないだろうか


自己中心は勝手だが、われわれに向かってそれを浴びせないで頂きたい。


自己中心は自分だけで納めてください。





他人とのかかわりの中で、他人の役に立つ事で自分の生活の糧を得る。


こういう事で社会は成り立っている。


なぜこれが成り立つかと言うと、自然の摂理だからだ。


分子レベルからこうなっていて、それによって構成されているにもかかわらず、遺伝子には自分だけ優位に立とうという情報がかかれている。


他人とのかかわりと相互によって成り立つという事を全員で行った社会はどうだろうか


見た目には良いのだが、他の人との競争には勝てない





自分勝手と相互協力





このバランスを征した者は本当の意味での勝者と言えないだろうか





自分が生きるために他の人を殺してはいけない


こんな簡単なことが分からない者は生きるための競争から逸脱してしまう





殺したい衝動、壊したい衝動


人に話すことが出来ないほどおぞましい想像


私だってそんな物くらい持っている





ではなぜ実行に移さないか


簡単です。


死にたくないからです。


生きていたい


いや、生活していきたいからです。





分かりますか?


自由を手に入れるためには、不自由な時間を過ごすということです。





全てはバランスです。





こんな事を言うと私は強いと勘違いされるかもしれない


そうではなく弱いのです。


死ぬという事、自分がいない世界


想像もつきません。


ちょっと思うだけで寒気がします。





自分が何によって構成されどう作られているのか


もう一度見直すべきでしょう。





デジタルな社会は、本当はデジタルではなく、


デジタルに乗せてアナログが広がっているのです。





全く、それがわからないとは、、、、


悲しい限りです。






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